三沢選手を最初に認識したのは、高校2年生の時。1992年のことでした。

小さい頃はいとこの影響でプロレスをたまに見る程度のファン。(ただ猪木はその頃から嫌いでした)
高校2年の時、ふとした拍子で夜中にやっていたTV中継でスタンハンセンが暴れていたのに気を止めたのがきっかけ。まだハンセンは一線なんだ、と思ってみてたらこれが面白くてはまりました。
そこから、“完全無欠のエース”J鶴田に超世代軍が挑む形が面白くてはまり、J鶴田、田上明VS三沢光晴、小橋健太の世界タッグ戦で完全にはまりました。

ひねくれものなので、人気のあった超世代軍よりも、鶴田、田上を応援していました。鶴田が病魔に倒れてからは、田上好きもあって、川田、田上を応援する日々。

三沢はその年の8月に初めて三冠をハンセンから奪取。その頃はまだ力強さに欠ける王者でしたが、川田との超世代対決を皮切りに、長期政権を樹立。どんどん説得力を持つ王者へと成長していきました。
アンチ三沢でしたが、やっぱり強かった。三沢の技で好きだったのは、場外へのエルボースイシーダ。的確にヒジを場外の相手に当てる。そんなことができるのはこの人くらいのものでした。

そこから四天王時代に突入。そのすごさに酔いしれつつ、チャンピオンカーニバルなどで四天王対決が愛知県体育館で行われたときは、ほんとうに興奮しました。(引き分けも多かったですが^^;)

全日ファンでしたので、分裂劇はショックでした。NOAHになってからは熱狂度は下がりましたが、それでも週刊プロレスで流れは追っていました。

NOAH2度目の東京ドーム。この日の三沢−川田で、正直限界を感じました。かつての対決を知るものとしては、輝きが薄れていることに気づかされましたが、それでも再度この対決が実現したことに喜びを感じていました。

ただ、三沢の最後のGHCチャンピオン時代は、見るに耐えない試合が増えていました。正直もう三沢はいいよ、そう思っていたし、試合を見ることもほとんどなくなっていました。

今年の新日本の1・4ドーム。この日一番の声援は入場時の三沢コールでした。まさか、それが最後の観戦になるとは思いませんでした。

まだ、リングで一瞬で意識を失い、そのまま苦しまずに逝ったことは、本人にとってはせめてもの良かったことなのかな、と今朝新聞を見ながら思いました。
残された家族、選手は大変ですが・・・。

なんにせよ、ご冥福を祈るとともに、これだけは言います。

三沢選手、お疲れ様でした。そして、たくさんのいい試合、興奮を与えていただきありがとうございました。